2007年06月10日

オルタナティブG8サミットの経験は来年に生きるか by 松浦哲郎(AMARC)

G8サミットが8日に閉幕したのにあわせて、ドイツ北東部に位置する港町ロストックを中心に開催されていた「オルタナティブG8サミット」も、その幕を閉じました。並行して行われていた「ラジオ・フォーラム」も、その活動を無事終了しました。それまで別々に放送をしていたドイツ語チームと多言語チームはこの日、同一のスタジオに入って、一つの番組を放送しました。様々なメンバーが入れ替わり立ち代りマイクの前に立ち、様々な言語で会話を続けました。リスナーの皆さんには聞きづらい放送だったかもしれませんが、参加したメンバーにとってはとてもよい思い出となりました。放送後ははじめて皆でビールを飲みながら、今回の活動について、そして今後について夜遅くまで語り合いました。

私がドイツに来る前にフォーラムの主催者から受け取った手紙には、今回のフォーラムはかつてない「実験(Experiment)」の場になるでしょう、と書かれていました。私はもしかするとこれは、「経験(Experience)」の間違いではないのか・・・と思いながらロストックに入りました。およそ20カ国から参加したメンバーとの1週間の共同作業を終えたいま、それが間違いではなかった、まさにここは「実験」の場だったのだ、と実感しています。もちろんそれがすばらしい「経験」でもあったことは、言うまでもありません。

ベルリンから列車に揺られること3時間、6月1日の真夜中に私はロストック駅に着きました。駅には多数の警察官、警察犬が配置され、非常に物々しい雰囲気でした。翌日の2日からは本格的なデモンストレーション等が行われ、その中で「ブロック・ブラック」と呼ばれる無政府主義を叫ぶ若者集団を中心に、投石などが行われ、多数の負傷者、逮捕者を出しました。ドイツ国内のマス・メディアではこのことがセンセーショナルに報じられ、今回のG8反対行動を自らの宣伝の場、勢力拡大の場と位置付けて力を注いできたレフト・ウィングの政党、政治集団を落胆させました。しかしこの「暴動」が、警察によって多分に意図され、その威嚇や誘導によって引き起こされた可能性が高いということは、以前のレポートでも紹介させていただきました。

「オルタナティブG8サミット」主催者のプレス会議では、ブラック・ブロックのメンバーを装ってマスクをした私服警官が、若者たちに「石を投げよう」と誘いをかけていた、という事例が報告されました。その場にいた15人ほどの若者が、マスクをはずすように迫ったにも関わらず、それをかたくなに拒否。IDの提示も拒否をした、とのことです。もし本当にブラック・ブロックのメンバーなら、どうして仲間の前で、マスクをはずせなかったのでしょうか。もちろん警察はこの事実を否定しています。

また、ベルリンから派遣された警察官たちは、日頃このようなデモンストレーションに慣れているので、かなり冷静に対応したが、地元の警察官は不慣れで、若者と対峙した際に、感情的になり(恐怖や戸惑いもあったでしょう)、手を出してしまったのでは、という見方もありました。いずれにしても、銃や防弾チョッキ、ヘルメットなどで完全武装した警察官が、Tシャツ姿の若者を殴る、蹴る、しているのを見るのは、非常に胸の痛む経験でした。

「ずっとロストックに住んでいるけど、こんなことは初めてだよ。いくらなんでも警察はやりすぎじゃないのかね。昨日は交通が遮断されたために、ずっと家に帰れなかったんだよ」と、5日のデモンストレーションの途中で出会った初老の男性は語っていました。同じデモンストレーションを見学していた2人の若者は「警察は自分たちの力を見せたいだけだ。こんなお金の無駄づかいはやめるべきだ。」と口をそろえていました。一方で、「ナチスの集団が来るかも知れないから、警備は必要だと思う」という地元の大学生もいました。事実200人ほどのナチスの集団がロストックを目指しましたが、途中で警察によって防がれたそうです。

7日、8日は、ロストック市内での全てのデモンストレーションを禁止する決定が裁判所から出された影響もあり、人々は港湾地域に設けられたステージ前に集まり、オルタナティブG8サミット主催者やゲストのスピーチ、世界中から集まったミュージシャンたちの演奏に聞き入りました。思い思いの主張を書いたプラカードが掲げられ、色とりどりの旗がはためき、会場は穏やかな雰囲気に包まれていました。

「レフト・ウィングの政党の人たちがすごく喜んでいたよ。僕の知る限りでは、レフト・ウィングがこれだけの成功を収めたのは初めてだね」。ドイツで最も歴史ある都市トリーアの地元紙に務める新聞記者は言いました。「最初の日の彼等の落ち込みようはすごかったよ。『とんでもないことになってしまった。これでオルタナティブG8サミットも失敗だ』と。でもその後はとても平和的にデモンストレーションが進んだおかげで、マス・メディアの論調もだんだん変わってきたんだ。G8の会場になったハイリゲンダムへ続く道路を封鎖した若者に、近所の人々が食べ物を差し入れたりする光景も見たよ」。

会場で取材を行っていた、日本のあるキー・テレビ局のロンドン支局に勤める女性は言っていました。「日本ではG8自体への関心が低いから、こういうカラフルなお祭りの様子だとか、そういうのしか送れないんですよねぇ」。実際他にもいくつかの日本のテレビ局が取材に訪れていました。「ヨーロッパの状況と日本の状況はずいぶん違うんですけど、それを日本の局の人がなかなか理解してくれないんで、こちらで取材してる人間はかなりストレス溜まってるんですよねぇ」。

G8が閉幕して一夜明けた今日、ロストックの街をゆっくり歩いてみて、街行く車に日本車が極めて少ないことに改めて気がつきました。100台に数台、というところでしょうか。いろいろな国に行きましたが、ここまで日本車が少ないのは初めてです。当然といえば当然ですが・・・ここは自動車の国、そして経済大国ドイツ。しかしロストックで出会った若者は言いました。「ロストックは死んでいる。」

その昔、ハンザ同盟の主要都市として栄えたロストック。現在の人口は20万人。観光が街を支えています。風光明媚な土地ですが、街には廃墟のようになった工場跡などが点在しています。ロストックが位置する旧東ドイツ地域では、依然として旧西ドイツとの経済・社会格差が大きく、失業率も高いままで推移しています。無政府主義を掲げ、現政府を痛烈に批判する「ブラック・ブロック」が、若者の社会に対するフラストレーションの受け皿の一つとして機能しているのだ、とフォーラム開催中ホームステイをさせてくれた地元ロストック大学の学生が教えてくれました。

インディペンデント・メディア・センターの周囲を埋め尽くした警察車両も、今日はすっかりなくなりました。29歳で今回のラジオ・フォーラムのコーディネイトを買って出た、地元ラジオ局ラジオ・ロロのスタッフ、ファルクも、「また日本で会えるといいね」と言って、愛犬マーヤを連れて事務所を後にしました。今は私と、インドから参加したラムだけが残って、「来年はどうなるのかなぁ」なんて話をしながらパソコンに向かっています。今回そのユニークな抗議方法で一躍有名なった「クラウン・アーミー(ピエロの兵隊)」は再び現れるでしょうか。いろいろなことが頭の中をグルグルとまわっています。

10日にはベルリンに向かい、次の日の飛行機で帰国します。


(松浦哲郎)
posted by FMわぃわぃ at 10:46| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
松浦さん、そしてオックスファム山田さんお疲れ様です。実際にかの地で起こっていることを、その人となりを知っている人からのリポート。これは衝撃的でありました。時代は変わったということをこんなに実感した事はありません。
市民はすでのこういう情報網を持ったのですから、(少なくともインターネット環境にある地域に住む人は)いろんな事柄を他人のせいにはできません。自分自身が世界に繋がっている事をきちんと自覚し、この世界を時代の子どもたちに手渡してゆく責任から逃れる事はできないとはっきりわかりました。
ハンカチ王子・ハニカミ王子に騒ぐ日本で次回のサミット@洞爺湖、、、どうすればいいのか。。。。正念場ですね。
***なんでいっつも交通費のかかる遠い、かつ風光明媚なところで開催なんでしょうか?封鎖しやすい??しかも世界の偉いさんに心地よくさせる為??****
Posted by 金千秋 at 2007年06月10日 13:48

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